布施明さんといえば、1965年のデビューから約60年にわたり日本の音楽シーンを牽引してきた国民的歌手です。
「君は薔薇より美しい」「シクラメンのかほり」「霧の摩周湖」など、世代を超えて愛される名曲の数々を世に送り出してきました。
布施明の人気曲ランキング!
布施明さんは、1965年のデビューから約60年、その圧倒的な歌唱力と伸びやかな声量で数々のヒット曲を世に送り出してきました。
「君は薔薇より美しい」「シクラメンのかほり」「霧の摩周湖」など、誰もが口ずさめる名曲の数々は、世代を超えて愛され続けています。
しかし、これらの名曲が生まれた背景には、メディアではあまり語られることのない驚きの制作秘話や、布施明本人の意外な本音が隠されているのです。
今回は、カラオケランキングや各種音楽サイトで上位に名を連ねる布施明さんの人気曲について、表には出にくい裏情報を中心に深く掘り下げてまいります。
布施明さんの人気曲ランキングで常に上位を占めるのは、第1位「君は薔薇より美しい」、第2位「シクラメンのかほり」、第3位「霧の摩周湖」、第4位「積木の部屋」、第5位「MY WAY(マイ・ウェイ)」となっています。
JOYSOUNDやラグネットなどの音楽サイトのデータでも、これらの楽曲が不動の人気を誇っていることが確認できます。
特に「君は薔薇より美しい」は1979年のカネボウ化粧品CMソングとして大ヒットし、布施明さんの代表曲として今なお歌い継がれています。
しかし、実はこれらの名曲の誕生には、本人すら予想していなかった意外な展開や、音楽業界の裏側が深く関わっていたのです。
昭和〜令和も色褪せない名バラードは何?
ここからは、制作秘話と裏情報をお伝えしていきます。
「シクラメンのかほり」に込められた皮肉な真実
日本レコード大賞を受賞した「シクラメンのかほり」は、実は布施明さん本人が「こんな曲がヒットするわきゃない」と密かに思っていた楽曲だったことが明らかになっています。
デイリースポーツの報道によれば、当時の布施明さんは音楽の基礎を学び直すため休業を希望しており、所属事務所からは「あと2曲やってダメだったら休んでいい」と条件を出されていました。
小椋佳さんが書いてきた「シクラメンのかほり」は「ちょっとフォークっぽくって、それもずいぶん数年前の感じだった」ため、布施明さんは「これでお休みいただきだな」とほくそ笑んでいたというのです。
ところが、この楽曲は105万枚を超えるミリオンセラーとなり、布施明さんの長期休暇の目論見は完全に崩れ去りました。
皮肉にも、「ヒットしない」と思っていた曲が最大のヒット作となり、休むどころか毎日この曲を歌い続ける日々が続いたのです。
タウン誌のインタビューでは、「長期休暇どころか、翌年夏休みをほんの少しもらっただけ」と当時を振り返っています。
さらに、「シクラメンのかほり」の「かほり」という表記には深い意味が込められています。
作詞作曲を手がけた小椋佳さんの妻の名前が「佳穂里(かほり)」であり、この曲は妻への愛の賛歌だったという説が存在します。
しかし小椋佳さん本人は「全く関係ない」「それを聞くと家内は怒りますよ」と否定しており、この謎について触れられています。
実際、シクラメンには香りがほとんどなく、うす紫のシクラメンも存在しないという事実も織り込み済みの創作だったとされています。
歌手の布施明(70)が11日放送のTBS系「サワコの朝」に出演し、代表曲「シクラメンのかほり」について、当初は「こんな曲がヒットするわきゃない」と思っていたことを打ち明けた。
引用元:デイリースポーツ
君は薔薇より美しい とオリビア・ハッセーとの運命的出会い
1979年の大ヒット曲「君は薔薇より美しい」は、カネボウ化粧品のCMソングとして起用されました。
このCMにはハリウッド女優のオリビア・ハッセーが出演していました。
このCMの共演が縁となって、布施明さんとオリビア・ハッセーさんは翌1980年に結婚することになります。
「ロミオとジュリエット」で世界的に知られる女優との電撃結婚は、当時の芸能界を大いに賑わせました。
しかし、あまり知られていないのは、この楽曲の制作にゴダイゴのメンバーが深く関わっていたという事実です。
作曲・編曲を担当したミッキー吉野さんは、当時「ガンダーラ」と「モンキー・マジック」が大ヒットしていたゴダイゴのキーボーディストでした。
レコーディングには、タケカワユキヒデを除くゴダイゴのメンバーが参加し、ギターは浅野孝巳さん、ベースはスティーヴ・フォックスさん、ドラムはトミー・スナイダーさんという豪華な布陣だったのです。
Rolling Stone Japanのインタビューで、ミッキー吉野さん自身がこの制作について語っています。
布施明さんは「ジャズっぽく歌ってほしい」とリクエストされ、全身でリズムを取りながら歌唱したと明かしています。
「霧の摩周湖」誕生の即興エピソード
布施明さんの5枚目のシングル「霧の摩周湖」は、当時あまり知られていなかった摩周湖を一躍有名観光地にした楽曲として知られています。
しかし、この名曲が生まれた背景には、実に意外な即興的エピソードがありました。
作曲を手がけた平尾昌晃さんは、布施明さんにとって「師のような存在」でした。
タウン誌のインタビューによれば、平尾昌晃さんが住んでいた神奈川県茅ヶ崎を訪れた際、湘南の海を見ながら平尾が「色白の布施には、この海は似合わないなあ。湖がいいんじゃないか」と言い出し、その場でギターでメロディを弾き始めたというのです。
平尾さんのギターに合わせて布施明さんが歌い、即興で完成したのが「霧の摩周湖」だったのです。
2017年に平尾昌晃さんが79歳で亡くなった際、布施明さんは音楽葬でこの楽曲を師に捧げました。
ニッポン放送の報道によれば、二人の出会いは平尾さんの「おもいで」という曲が北海道でヒットしていたことがきっかけだったとされています。
「マイ・ウェイ」の歌詞に隠された即興の才能
世界的名曲「マイ・ウェイ」の日本語版は、実は布施明さんの即興的な歌詞変更によって生まれたという驚きの事実があります。
もともと音楽家の中島潤さんが日本語訳を作っていました。
中島さんが突然亡くなり、布施明さんは恩人の名前を後世に残したいという一心で、シングルレコードのB面に収録することを決めました。
ところが、レコーディング中に意外な展開が待っていました。
当時22歳だった布施明さんが《今~、黄昏~、近づく~人生に…》と歌い始めると、周囲から「22歳の君には”黄昏”なんて言葉は、まだまだ似合わないなあ」と指摘されたのです。
そこで布施明さんは即座に「今~、船出が~、近づく~、この時に~」と代替案の歌詞を考え、その場で歌ってみせました。
すると、「それがいい。その歌詞に変えよう」と採用されたのです。タウン誌によれば、当時は「B面の曲だし、それで構わないだろう。軽い気持ちだった」と布施明さんは振り返っています。
この即興で生まれた歌詞が、半世紀以上経った今も多くの日本人歌手によって歌い継がれているのです。
紅白歌合戦での衣装秘話
布施明は紅白歌合戦に26回出場していますが、その中でも特に話題となったのが1970年の「愛は不死鳥」での衣装でした。
紅白歌合戦データベースによれば、エルヴィス・プレスリーを模したような不死鳥をテーマにした衣装は、袖に短冊状の布を縫いつけた特殊なデザインで、母親が夜なべをして縫ってくれたものだったといいます。
曲の見せ場まではなるべく腕を上げないように気をつけ、クライマックスで両手を高く広げると、長いフリンジが舞い上がる演出が客席から大きな歓声を浴びました。
また、1972年の第23回紅白歌合戦では、紅白史上初めて衣装に電飾の薔薇を装着するという斬新な試みも行っています。
デビュー当時、同じ渡辺プロダクションの先輩である中尾ミエさんから「口を開けすぎ」とアドバイスされたエピソードも、紅白歌合戦データベースに記録されています。
大きく口を開けて歌っていた布施明の歌唱スタイルを見た中尾ミエさんが、プロとしての技術的なアドバイスを送ったというものです。
積木の部屋」が描く昭和の情景
1974年発売の「積木の部屋」は、有馬三恵子作詞、川口真作曲・編曲による作品で、若い恋人たちの淡い記憶を描いた名バラードです。
この曲のレコーディングでは、布施明さんの長髪姿が「ザ・歌謡曲」という感じで、ブラウン管を通じて昭和の視聴者の心に強く印象づけられました。
KAYOPOPSの記事では、「記憶の中の布施明は、基本ずっと長髪」と評されています。
1977年には「愛の園」「恋」とのメドレーで披露されることもあり、布施明さんのバラード歌手としての地位を確立した重要な楽曲の一つとなっています。
まとめ
布施明さんは現在76歳(2024年時点)ですが、今なお第一線で活動を続けています。
2025年にデビュー60周年を迎えるにあたり、「よみがえれ 昔日の情熱」と題した全国ツアーを展開しています。
布施明さんは歌手にとっての「刀」について「歌への思いを込めた強い気持ち。それしかない」と話しています。
「さびついた刀では、聴く人の心の中へは絶対、歌を届けることはできない」と、半世紀以上にわたって歌い続けることができた理由を明かしています。
シャルル・アズナヴールさんが94歳まで、トニー・ベネットさんが96歳まで現役だったことを引き合いに出し、「まだまだ歌えるかな」と語る布施明さん。
その姿勢には、真の音楽家としての矜持が感じられます。
2009年に紅白歌合戦から「勇退」を宣言していましたが、2025年の第76回紅白歌合戦への16年ぶりの出場も決定し、その衰えを知らぬ歌唱力は今も多くのファンを魅了し続けています。
このように、布施明さんの人気曲の数々には、メディアではあまり語られることのない制作秘話や本人の意外な本音が隠されているのです。
それらを知ることで、名曲への理解と愛着がさらに深まるのではないでしょうか。
昭和から令和へと時代が移り変わっても色褪せない布施明さんの名バラードは、これからも世代を超えて歌い継がれていくことでしょう。
お付き合いいただきありがとうございました。

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