俳優としても個性派として知られる田中泯(たなか・みん)さん。
今回は、そんな田中泯さんの若き日の選択と、ダンスにかけた情熱を深掘りしていきます。
田中泯の若い頃とは

映画『たそがれ清兵衛』『沈黙 -サイレンス-』などで見せた圧倒的な存在感は、幅広い世代から高く評価されています。
しかしその原点は「俳優」ではなく、実は舞踏家としての活動にあります。
田中泯(たなか・みん)さんは、今でこそ国際的な俳優・舞踏家として広く知られていますが、彼のキャリアの出発点はとてもユニークで異色です。
華やかな芸能界の王道を歩んできたわけではなく、自らの「身体表現」を突き詰めるために、あえて安定した道を捨てるという選択をしました。
さらに驚くべきは、田中さんがもともと大学進学をしていたものの、早々に中退し、あえて不安定なダンサーの道に進んだという点です。
高校時代まではごく一般的な学生生活を送っていた田中さんは、名門・東京教育大学(のちの筑波大学)へ進学。
そこで哲学や教育を学びながらも、机に向かって知識を得ることより、「身体で表現すること」に強く惹かれていきます。
そして、わずか1年ほどで大学を中退しています。
周囲の反対や不安を押し切って、ダンスの世界に飛び込んだのです。
その選択は当時としてはきわめて異例であり、同時に、のちの田中泯という存在を形づくる大きな転機でもありました。
2014年の朝日新聞インタビューでは、「ただ踊りたいから、ではない。身体の奥底から突き上げてくる“生きる手段”として、僕は踊りを選んだんです」と言っています。
若い頃の田中さんは、「常識」や「正解」といった枠を疑いながら、自らの信じる道を突き進んでいました。
そんな型破りな青春こそが、今の彼の唯一無二の表現につながっているのです。
学生からダンサーへ異色の経歴

田中泯さんは、当時の東京教育大学(現在の筑波大学)に入学しましたが、1年ほどで中退しています。
この早すぎる決断には、「安定した職業を得ること」よりも、「自分自身の身体でしか表せない何かを探すこと」への情熱が強く影響していたようです。
そしてその後、自身の身体表現を追い求めて、独自のダンス活動にのめり込んでいきました。
彼が目指したのは、型にはまらない即興性と身体感覚を大切にした表現です。
いわゆるモダンダンスや舞踏をベースにしながらも、既存のスタイルに縛られないアプローチでした。
田中さんはこの道を選ぶことで、後に国内外から高く評価される「世界的舞踊家」へと成長していきます。
大学中退後、田中さんはモダンダンスや即興舞踏を学びながら、1966年には独自のソロ活動しますします。
特定の舞踊流派に属さず、自身の身体感覚に忠実な動きを追求しました。
1974年には「裸の身体に土色を塗る」という衝撃的なスタイルで、観客に深い印象を与えました。
これは「人間の本質」や「身体そのものの存在感」を舞台上で問い直す表現であり、日本舞踏の概念を大きく揺るがしたといわれています。
NHKアーカイブス『プロフェッショナル 仕事の流儀』(2011年)では、
「人間の身体に備わっている風景を呼び起こす。舞踏とはそういう行為だと思う」とも言っています。
田中さんの活動は国内にとどまらず、1978年にはパリで開催された「日本の時空間-間」展にて海外デビューを果たします。
その唯一無二の身体表現は世界の舞台芸術関係者に衝撃を与え、以降は世界各地のフェスティバルに招待されるようになります。
踊りというのは、芸術的な舞踊以外にも、ありとあらゆるところにありますね。世の中には流行の踊りがありますよね。僕が若い頃なら、ディスコダンスとかゴーゴーダンスとか そんなものが流行っていました。
そのようなことを20代の半ばまで夢中で調べていました。踊りというのは間口が広い。人類学、民族学、哲学、そういうものを含んでいます。当時の僕は踊りを夢中で勉強し、身体を使って自分なり踊りを探ることで、何かに、どこかに近づけるんじゃないかという気持ちがありました
引用元:futabasha-change
まとめ
田中泯さんは、若くして「大学を辞める」「ダンサーになる」という大胆な決断を下しました。
その背景には、自身の内側から湧き上がる身体で語るという強い衝動があったのです。
現在の俳優としての活躍も、この踊る哲学者としての経験が基盤になっているのは間違いありません。
彼の若き日の決断は、安定を捨てて、自分だけの道を進むことの美しさと力強さを私たちに教えてくれます。
さらに、舞踊家として培った身体感覚や生の哲学は、俳優としての演技にも深く根ざしています。
スクリーンにただ「存在」するだけで空気を変えてしまうあの力は、まさに田中泯さんの身体の履歴そのものが表れている証といえるでしょう。
つまり、田中泯さんの現在の活躍は、すべて「若い頃に自分の身体と向き合い、踊りを選んだ」という覚悟の延長線上にあります。
田中さんの人生からは、安定を選ぶことが必ずしも正解ではないということ、自分の内なる声に従って歩むことの尊さが伺えます。
そして「生き様こそが芸術になる」という力強いメッセージを受け取ることができます。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
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